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世界的モデルから借金まみれのフリーターへ林マヤさんから学んだ大切な事

こんにちは(^ω^)

 

重労働で腰が痛いひかちゅーです。今日はあまりの痛さに仕事が続けられず、お昼で帰らせていただきました。他の従業員共々フルーツを落としたり、持ち上がらなかったりでフラフラの状態でした…。

 

今日は、元パリコレモデルの林マヤさんのお話が心にグッと来たので、紹介します。林マヤさんの話を聞いて、調子に乗っていた自分に気づき、初心に帰ることの大切さを学びました。

 

林マヤ

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テレビで時々みかけるこのお方。正直顔と名前を知ってるぐらいで「林マヤ」さんはどのような経歴を持っていて、どのような人物なのか全く知りませんでした。

 

林マヤさんは、パリコレ出演など世界で活躍をした日本人モデルです。ヨーロッパで大成功を収めたマヤさんは、2週間前後のファッションショーに出演するだけで1000万円を稼いでいたそうです。そして1996年に帰国後、出演した資生堂のCMが話題となり日本でも雑誌の表紙を飾る看板モデルとなりました。

 

現在はタレントとしてテレビに出演しています。

 

猫缶を食べて飢えをしのいでいた借金生活が話題に…

モデルやタレントとして大成功を収めた林マヤさんでしたが、その裏では1億円の借金を背負い、猫缶で飢えをしのぎ、最後は自殺未遂にまで陥りました。収入は安定していた、むしろ一般人よりも数倍稼いでいたはずのマヤさんがどうして1億円もの借金を作ってしまったのか…

 

理由は主に2つ

 

1.浪費癖

 

2.ジャズシンガーを目指した

 

1.浪費癖

マヤさんは風呂なしアパートに住む下隅生活から高級マンションへ住むセレブ生活へとのし上がりました。月数千万円の収入があったため、金銭感覚が狂っており、当時は1万円が小銭のように思えたそうです。収入が減ってもその金銭感覚は変わらず、お金はどんどん無くなっていきました。

 

2.ジャズシンガーを目指した

ファッションショーで活躍している時代に、バックミュージックとして使われていたジャズに魅せられ自身もジャズシンガーを目指します。自腹で会場費・衣装・人件費など莫大な費用を負担していたものの、ジャズシンガーとしては売れず失敗に終わりました。

 

そして衣装や会場にこだわり抜いた結果、借金は膨らみ1億円にまで及びました。

 

猫缶・内職・自殺未遂

借金を返済するために昼夜問わず働きづめの生活を送りました。弁当屋でバイトをし、家では内職をしてお金を作り借金を返済していました。食費に回すお金が無く猫缶を食べて飢えを凌ぎました。そして、その生活に疲れ切り自殺を決意します。富士山のふもとまで来た時、最後に食べようと購入したアイスクリームを食べました。その瞬間、ハッと我に返り、アイスクリームの美味しさを嚙み締めました。そしてもう一度やり直そうと決意し、自殺を踏みとどまりました。

 

林マヤさんが語った自分の過ち

林マヤさんは当時を振り返り、「パリコレ時代の自分に囚われていた」と語ります。ファッション業界で大成功を収め、ジャズシンガーを目指しましたが、マヤさんは「世界で活躍したモデル」のプライドにこだわり、会場や衣装にばかりお金と時間をかけ、歌手として大切な”歌”に労力とお金を費やしませんでした。その結果ジャズシンガーとしては売れず大きな借金を作ってしまいました。過去の成功に囚われ、現在の自分を見失っていたのです。

 

現在の自分へ

わたしは、大切なことを見失っていました。それはわたしもただのバックパッカーであること。以前の工場でマネージャーやオーストラリア人を見返すぐらい頑張り、工場内ではすべてのポジションをやらせて貰えるほど努力し、オーストラリア人流のコミュニケーション能力やパッキングスキルを身に着けました。その結果1年間働いた後も、この工場に残っても良いと声がかかるほど成長しました。今までこのようなバックパッカーは居ませんでした。

 

アジア人が見下されているオーストラリアで、厳しいと言われている工場で、このように評価された事を自分自身で誇りに思っています。

 

そして自分自身で新しい環境でまた1から挑戦すると決めたのに、最近のわたしは不満だらけでした。「わたしは他の人よりパッキングが出来る」「わたしの方がすごいのに…」いつの間にか人を見下していました。わたしが努力した時代は「過去」のもので、現在自分はまた1から努力して信頼を築き上げていかなければなりません。それを忘れて他の従業員より自分の方が上だと決めつけていました。どうしてパッキングをさせて貰えないのか、そればかり不満に思っていました。

 

わたしの性格はとても強く、負けず嫌いで、誰よりも評価されたい人間です。そして誰よりも仕事に真面目です。

 

この性格のせいで以前は、新人からは恐れられたり、謙遜されていました。小さな町なので、あの工場には「怖い日本人」「 嫌な日本人」がいると広まっていました…笑 それに気づいた時にはもう手遅れでした。わたしのNo.1を取ると決めた目標のために、人間関係を犠牲にした結果です。

 

そんな自分を変えるためにも、新しい工場で1から自分を鍛えなおそうと決めました。自分が新人になって、もう一度その頃の気持ちを思い出したかったからです。そして、新人達がどのような思いだったのかを学びたかったからです。

 

過去に囚われず、現在の自分を見つめる事

 

過去が"成功"であっても"失敗"であっても、それを現在に持ち込むことは失敗の元だと改めて気づかされました。

 

これから自分の精神的な成長のためにも、初心を忘れずに前進していきましょう!

 

わたしの話は...ちっぽけな話ですがご了承ください。

 

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